ちょっと前に買っていた『TZ本』にやっと目を通しました。私がその開発に携わったのは89年型3LCから。中でも最も思い入れが強いのは後方排気最終型の90年型3TCです。この本でも試乗を担当している難波恭司選手を開発の中心に据え、若き天才原田哲也に先行開発車両の1台を委ねて全日本を戦ったのでした。私は当時原田哲也が駆る先行開発車両のメカニックを担当しており、次期モデルに投入する開発パーツを実戦でテストしながらその性能や耐久性を検証していました。3TCは1990年西日本サーキットで初開催となった全日本ロードレースで、原田が全日本初優勝を飾った思い出のマシンでもあります。軽量コンパクトで整備性に優れ、地方選から全日本、世界グランプリまで多くのライダーに愛された1台でした。
TZ本のマシン解説にもあるように、後方排気はチャンバーがストレート化できるメリットもさることながら、エンジン下をチャンバーが通らないことで搭載位置を下げることが可能で、結果として低重心化を実現していました。そのためライバルRS250に比べて柔らかいタイヤを選べるというメリットもありました。後方排気3年目で熟成されており、車体・エンジンの絶妙なバランスの上に成り立った完成された1台でした。原田のファクトリー入り後1~2年目の大活躍は、本人の努力や才能があったのはもちろんですが、パラレルツインTZの長い歴史の中で積み上げられたヤマハ市販レーサーの助けがあったのは間違いありません。
最後に後方排気の素晴らしい整備性を物語るエピソードをひとつだけ。確か筑波サーキットで行われた全日本ロードレースのフリープラクティスだったと思いますが、午前中の走行で転倒を喫してしまい、運悪くエンジンが砂を吸ってしまいました。午後の走行まで2~3時間しか無かったと思うのですが、そこで我々はクランク交換を決行。しっかりと午後の走行で慣らし~全開走行まで行いました。このときは時間が無かったのでTZのフロントを高々と持ち上げ(ほぼ竿立ち状態)、エンジン車載のままでクランク交換を行いました。そんなことが可能だったのも、シンプルで合理的な設計の後方排気ならではなのです。
残念ながらパラレルツインTZの長い歴史はこの3TCで幕を下ろし、翌年からV型へと移行します。これは市場の流行や、市販車との部品共通化などメーカーの施策などが関係していたのですが、現場の開発部隊はそのままパラレルツイン、それも後方排気で行きたいという強い希望を持っていました。V型に劣る欠点があったのは確かですが、それを補って余りある美点があったのも事実。あの突き抜けるようなトップエンドの伸びに魅せられたライダーも多かったはずです。