先日HSR九州で行われた鉄馬番外編の空冷ツインクラスでは、モンスター1100Sでエントリーした野比のび太選手(実況が野比のび太こと内田選手と連呼するのがワロタ)が、ハーレーダビットソンXR1200の武田選手と最終ラップまでデッドヒートを繰り広げて会場を大いに盛り上げました。
今回内田選手がうちのチームからDUCATIでエントリーしたのにはいろんな裏事情がありました。話は20年以上前にさかのぼります。
店主は長年ヤマハレーシングの仕事に関わってきました。なかでも1996年から1999年の4シーズンはヤマハワールドスーパーバイクチームのメカニックを務めましたので、DUCATIは当時の最大のライバル、言ってみれば絶対王者です。なんとかDUCATI(ホンダRVFもですが)を倒す為にと、ライダーや現場スタッフはもちろん、本社の開発スタッフまで一丸となって注力していました。そんな私がそのDUCATIの走りを間近で見たのは実はデーククラフト開業して間もないSUGOのワールドスーパーバイクレースのときまで待つことになります。(レースメカニックは走行中ピットにいますので、コースサイドで走りを観察することは基本的にありません。)
店のお客さんたちと観戦に訪れたWSBのSUGO大会で、店主は初めてコースサイドでDUCATIの走りを観察しました。中でも印象的だったのは最終シケインから10%上り勾配へかけての立ち上がりでした。国産の4気筒勢(当時は750㏄)が体をイン側に落としてスライドするマシンと格闘していたのに対し、DUCATIのライダーはシケインを立ち上がるとすぐにマシンの上にぴったりと伏せ、何事もなかったかのように(矢のようなスピードで)加速していくのでした。これがDUCATIのトラクション性能というやつかと驚いたのを覚えています。もうひとつビックリしたのは、当時DUCATIと同じエンジンレイアウトを採用していたアプリリア(RSV1000)が4気筒勢と同じように大きくスライドしてタイムロスしていたことでした。秘密はエンジンレイアウトや爆発間隔だけではないということです。それからDUCATIってどんなバイクなんだろうというのがずっと頭の隅にあったのです。
デーククラフトを開業して間もないころ九州のサンデーレースでは、DUCATI916系がツインクラスに沢山エントリーしていました。そこからCBRやYZF-R1といった国産SSがブームになって、たくさんの方がDUCATIから乗り換えることになります。軽量でハイパワーの国産SSへの乗り換えで、みなさん大きくタイムアップすると期待してのマシンチェンジだったわけですが、実際にはなかなかそうもいきませんでした。いろんな不満を耳にする中で印象的だったのが『オートポリスってこんなにギャップがあったんだ』という言葉。DUCATIの速さの秘密は、エンジンだけではなくあの鋼管トラスフレームにもあるのかもしれないと思った次第です。
話は現在に。のび太選手(もういい!)こと内田選手がNK4や国産SSのレースを卒業して、『次に何に乗ろうかなぁ』という相談を受けたとき、『DUCATIはどうですか』という話をしたのはこういった経緯があったからでした。その1年前自分でもFZ750からDUCATIのムルティストラーダ1000DSに乗り換えて、面白さの片りんを体感していたのでなおさらです。ちょうどモンスターで鉄馬に出場していたうちのお客様が仕事の関係でエントリーできなくなり、『それじゃぁ僕のモンスターで内田さん出てみませんか』という具合に話がトントン拍子に進んだというわけです。
レースは最終ラップまで続いたデッドヒートの結果僅かの差で2位となりましたが、STDエンジンにスリップオンマフラーとポジション変更だけのモンスターが、長年武田さんが注いだ多くの愛情とモディファイでハーレーとは思えない速さを発揮するXR1200を相手にあそこまで接戦を演じるのですから、やはりDUCATIには予想外の速さを生み出す秘密が隠されているんでしょうね。もちろん還暦を迎えたとはいえ現役国際ライダーの内田さんの上手さがあったのは言うまでもありませんが。
ところで内田さん次のマシン何にします?